欧州PDAの年会に参加しました

今年6月28日~29日にベルリンで開催された欧州PDA第一回年会で、スイスのバーゼルにあるLonza株式会社医薬品サービス部門長Dr. Hanns-Christian Mahler(フランクフルトのJohann Wolfgang von Goethe大学の製剤技術担当教授で微生物学者)の興味深い示唆に富む講演があった。


ベルリンの街並み

その演題は、「生物製剤の注射剤形:今日迄と今後:Quo vadis parenteralia?」と言うラテン語で「注射製剤の行く先?」であった。
また、その副題は、「Quo vadis? Further Food for Thought どこへ行くのか?過去を顧みて未来を考える」というラテン語と英語表記であった。

クォ・ヴァディス」とはラテン語で「(あなたは)どこに行くのか?」を意味し、ラテン語新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節からの引用でもある。
最後の晩餐の席で十字架に向かうイエスに対しペテロ(イエスの弟子で、殉教後にローマンカトリックの初代教皇となった)が語った言葉である。

シモン・ペテロがイエスに言った「Quo vadis, Domine? (クォー・ウァーディス・ドミネ)主よ、どこへおいでになるのですか」の意味。イエスは答えられた「貴方は私の行くところに今はついて来ることはできない。しかし、後になってからついて来ることになろう」。
dicit ei Simon Petrus Domine quo vadis* respondit Iesus quo ego vado non potes me modo sequi sequeris autem postea
*quo は「どこへ」を意味する疑問副詞で、vadis は「行く、進む」を意味する第3変化動詞で、直接法・能動相現在形、domineは主語で2人称単数だが、このdomine は「主人」を意味する第2変化男性名詞 dominus の単数・呼格。

今でも、医療用語の多くは語源がラテン語であることが多く、欧米で医学・薬学の高度な内容の話をする場合に、ラテン語やギリシャ哲学者の諺を用いるのが通例となっている。
例えば、薬局方はPharmacopoeia(ギリシャ語pharmakon=薬、+poios=making、薬の作り方)であり、非経口薬はparenteral(par..外の、entero腸管、al形容詞語尾、)であることは業界の誰もが知っているが、全てラテン語である。

以下に彼の講演の要点を紹介する。


規制上の諸要件は徐々に発展しつつある。

新奇の物理療法は現状(the status quo)に対する幾つかの特定の難題を提起している、例えば、幾つかの高度治療薬(ATMPs:Advanced Therapy Medicinal Products)のような安定性が不十分な製品の無菌試験の再検討を求めているのではないだろうか?
輸液バッグの細胞懸濁製品の目視検査は可能だろうか?
さらに、以下の課題があろう。

  • 第四世代の自動化製造におけるデータの防護対策
  • 個別化、地域化に対応した小容量の1バッチ対大容量のバッチ
  • 分散化製造対中央化製造

医療産業界は特定の課題と事例により推進され、多くの斬新な改革を進めている。

変化という「独善的信念」は変化とのみ共存し、例えば硝子容器対樹脂製容器のような、新たな「争点」が起きている。
段階的変化による改革に対する多くの好機が存在する。
患者治療の選択肢は徐々に発展しつつあり、新奇物理療法は伝統的諸要件や製造手法に疑義を提起している可能性もあろう。

  • 製品開発と治療の最終目標は何かに焦点化すること。
  • 特定要件の意図に焦点化すること。
  • 課題の全体像の再考と全体的医療(心身全体を考慮し、事前治癒力を考慮すること)改革

要約と結論:

全身曝露が必要な場合、生物製剤は殆ど非経口投与される必要があり、またその手法が継続されるはずである。
分子の複雑性が増大するにつれて、凍結乾燥製品が重要な剤形として残るはずである。
製品の製造と試験に対する革新的取り組み手法が求められる。
処方、一次包装、医療機器、製造法などに関する医薬品開発は、原薬の有無に拘わらず統合される必要がある。
十分な患者治療を保証するために明日の製品を開発し製造することを望むならば、現状の患者の抱えている解決すべき課題に焦点化すべきである。

また、今年9月12日~14日に開催されたPDA/FDA Joint Regulatory Conference 2016で、Bristol-Myers Aquibb社上級副社長のMs. Donna S. Gulbinskiは「価格価値としての品質(Quality as a Value)」と題して行った講演で古代ギリシャのスコラ派哲学者ヘラクリトス(Heraclitus:540B.C.頃~470B.C.頃)の諺がExpect changeの初めの言葉としてラテン語の英訳版で述べられた。

Nothing endures but change. There is nothing permanent except change. All is flux, nothing stays still.
– Heraclitus
和訳:万物は流転する。あらゆるものは留まることなく、移り変わって行く。ヘラクリトス

ところで、日本ではP. F. ドラッカーに先駆けて、欧州の騎士道とは異なる武士道に基づく経営哲学を実践した元祖に渋沢栄一がいる。

渋沢栄一

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渋沢栄一(左側)

(1840年(天保11)年2月13日~1931年(昭和6)年11月11日)
武士(幕臣)、官僚、実業家、子爵。多種多様な500社以上の企業の設立・経営、育成に係わり、同時に約600の教育機関・社会公共事業や民間外交にも尽力し、日本資本主義の父と称される。

  • 夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。
    計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。
    故に幸福を求むる者は夢なかるべからず。

現代経営学の父と称されるピーター・ドラッカー博士(Dr. Peter Ferdinand Drucker:1909~2005)は、渋沢翁について、名著『マネジメント』の日本語版序文で以下のように述べている。
「率直にいって、経営の『社会的責任(Social Responsibility)』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出る者を知らない。彼は世界の誰よりも早く、経営の本質は『社会的責任』に他ならないということを見抜いていた人である。渋沢は近代的な制度を創設した。 彼は、日本にまず近代的な銀行をつくった。 (中略) しかも渋沢は、会社に専門的な経営者が必要であると唱えた。」

これは、渋沢栄一翁が経営学の神様より先んじて「士魂商才(武士のような崇高な精神と商才)」に基づく経営の本質に到達していたことを示している。
「論語と算盤」という明確な方針に基づき、日本の資本主義を発展させた渋沢の功績は大きく、企業家精神とは何か、未来志向の重要性を我々に示した。

公益のために尽くした渋沢栄一翁は82歳の時(1923年)に4回目の渡米をし、ワシントン海軍軍縮会議の成功を願って日米親善のための講演を行い、米国の財界人に多大な感銘を与えた。
1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年2月6日迄米国のワシントンD.C.で開催された列強国会議で、建造中の艦船を全て廃艦とした上で、米英:日:仏伊の保有艦の総排水量比率を531.75と定めた。
この会議における英米側の最大の目的は日本海軍力の弱体化であった。

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参考:
★ピーター・ドラッカー著『マネジメント』(NHK「100分 de 名著」番組サイト)
★【渋沢栄一】 『渋沢栄一 名言ノート』
★『渋沢栄一 ~近代化に尽くした人~』(NHK「歴史にドキリ[社会 小6]NHK for School 番組サイト)

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