製薬現場の今昔:注射用水の製法追加について(1)

「やっと“山が動いた”感じがする。(以降略)」

これは、2015年ファームテクジャパンのNo.10に投稿された“注射用水の製造は蒸留法から膜法(RO、UF)の時代に”という記事における、佐々木先生の第一声です。

1988年JP11改訂で、注射用蒸留水の製法として超ろ過法が加わりました。この課題に30年近く日本の第一人者として、第一線で取り組んでこられた佐々木先生他多くの関係者の方々、またアンケート調査等にも積極的に参加・協力をされた方々、2015年にEPモノグラフ(0169)の改正ドラフト版に超ろ過法が注射用水の製法として記載されたときの達成感は、未だに私が経験したことのないものと思います。

少なからず製薬業で注射用水設備に携わった私も、“いよいよ来たのか。やっとEPでも非蒸留法を採用、これで製法は3局で一致したんだ”、と安易ではありますが異なる想いで感動した瞬間でした。

“山が動いた”から連想されるのは、1989年参議院選挙で、当時日本初の女性党首として土井たか子氏が、与党自民党を参議院過半数割れに追い込んだ時の発言です。マドンナフィーバー真っ只中の頃でした(ウィキペディア参照)。

私には、今回の佐々木先生の投稿文の冒頭の“山が動いた”は、NHKで放送されていた歴史情報番組であった、“その時歴史が動いた”を連想します。各時代、各国での歴史上におけるターニングポイントを、“その時”と表記し、様々な時代背景、人物に焦点を当て、クローズアップしていく。また、同じくNHKの番組になりますが、“プロジェクトX~挑戦者たち~”に関連するセリフでも良かったのかなって、勝手に思っております。その中心人物に焦点を当て、様々な困難に立ち向かう姿、どちらかと言えば、こちらの方がピンと来るのかな。

何に例えようと、達成された成果は、大々的に取り上げてもいいのではと個人的には感じております。実際問題として、佐々木先生が何を意識して“山が動いた”と表現したのか、今度お会いする機会に聞いてみます(先日お隣で飲む機会がありましたが、聞くの忘れました、とほほ)。

製薬会社に勤務していた時、製造用水設備の仕様書を書く際、苦労して書いたことを思い出します。3局対応との文言を使うと、その後にいろいろと但し書きをしなくてはいけなくなり、表をこしらえたことを思い出す。当時、JP、USP、EPにBPも絡んでいた頃でした。参考までに、2006年頃の注射用水規格に規定されている試験項目を以下に記載します。

局方

JP

USP

BP/EP

規格試験項目

性状

酸またはアルカリ

塩化物

硫酸塩

硝酸性窒素

亜硝酸性窒素

アンモニア

重金属

過マンガン酸カリウム還元性物質

蒸発残留物

エンドトキシン

導電率

TOC

エンドトキシン

導電率

TOC

硝酸性窒素

アンモニウム

重金属

エンドトキシン

JP15からJP16にかけて、純度試験規格の見直しが行われ、大幅な変更がなされております。
最新の注射用水規格をまとめたものを以下の表に記します。

局方

JP

USP

EP

WFI製法

蒸留、又は超ろ過法

蒸留法、又は水質を守れる同等の方法

蒸留法

規格試験項目

導電率

TOC

エンドトキシン

導電率

TOC

エンドトキシン

硝酸性窒素

アンモニウム

導電率

エンドトキシン

このあたりの変遷は、いろいろな学会等で説明会が行われており、様々な業界関係者の方々の理解のうえで、速やかな試験方法の移行がなされたかと思います。

2000年頃に、注射用蒸留水設備の導入を経験した私は、規格試験項目が3つ(参考試験で生菌数試験も実施ですが)の頃であれば、1年間のバリデーションデータの取得は楽だったろうに・・・・と、ずいぶん古い話を思い出して涙しております。

試験方法が変更になった時に比べて、製造方法が変更になったことで、劇的な変化があったのでしょうか?あまり製造用水設備に専門に扱っていたわけではありませんが、実際に自分でも管理運転に携わった経験があるものとして、なぜ蒸留法だったのか?どうして非蒸留法が採用になったのか?改めて経緯を調べる機会に恵まれました。本来であれば、装置上流部分から、一貫した各プロセスを踏んだうえで非蒸留法としてまとめてみたかったが、そこまで時間がなかったので、単純にヨーロッパでの非蒸留法が採用になった経緯を調べることに終始したものになってしまいました。

最初に紹介した佐々木先生の投稿にも、そのいきさつが書かれています。まずは、これを参考にさせていただきながら、どのように“山が動いた”のか、自分なりに見てみたいと思います。

つづく

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